人が嫌いになったら逃げ場所はあそこに決めた

こんばんは。突然春のような暖かさになって吃驚しました

 

最近仕事であまりにも触れる人の数に辟易して、先輩社員が「もう、もう人間もういい!!人間嫌い!!」と発狂していた事に激しい共感を得て、私ももうしばらく「人」に触れたく無いと思い、休みを使ってたった一人で何かしらの時間を設けた次第です。

 

夫も家に置いて、本当に私一人だけ。で、向かった場所は羽田空港。なぜそこにしたかと言うと、ちょうど十四年ほど前のこの時期、まだ幼かった私を叔母が羽田空港に連れて行ってくれたのを思い出したからだ。もう朧げではあるけれど、確かにキラキラした夜景や飛行機が飛び立つのを眺めて、それはそれは感動したことを覚えている。そしてその時私は幼かったので、そのままその飛行機に乗れるものだと思っていたのだけど、叔母に聞けばそれは叶わないと言う。いつか大人になったら私もあの大きな飛行機に乗って何処か遠くに行くのだとぼんやり思っていた気がする。

 

そんなことをふと思い出して、たった一人、電車に揺られて羽田空港に向かった。あの頃とてつもなく遠くに感じたその場所は、呆気なく電車で辿り着き、私は淡々と思い出の場所へと向かう事が出来た。

 

記憶が曖昧だった分、色々思い違いをしていた部分もあったらしく、でも記憶と違うその場所が醸し出す雰囲気や施設設備などは想像以上で逆に感動した。お土産広場やレストラン街を抜けて、最上階の展望台を目指して歩いた。至る所にあるエスカレーターの数や流石と言った所だ。クリスマスシーズンでもあるからか、イルミネーションなどの装飾がとても綺麗だった。オブジェなども美しいものが沢山あった。皆大きいスーツケースを持っていたり、ある程度予想はしていたけどそれ以上に外国人が多かったり、サラリーマンなどがあんな時間(着いた時はもう20時だった)から出張のような出で立ちでしきりに腕時計をチラ見していたり、皆思い思いのように過ごしているようだった。特に並んだ椅子に横になってしまってる人も目立った。

 

私が一番記憶に残っているのは展望台だったので、記憶通りかどうか気になったが、いざ登場してみたら全く覚えていなかった。あれ、こんな感じだったっけ。ああ言われてみればこんな感じだったような気もする。そんな感じ。

 

離陸・着陸の様子が見れるそこからの夜景は素晴らしいものだった。

受けた衝撃は幼い頃に受けたものよりは軽くて、こんなところでも大人になってしまった嫌な感じが襲ってきたけれど、ちょうど雨が激しく降ってきて、機体が雨に濡れてまるでシャワーを浴びているように見えたり、雨夜の中眩しすぎる明かりが点々と灯っている光景はなかなかに趣があるもので、ある意味悪天候でよかったかもしれないと思うほどだった。まるで映画のワンシーンのようだった。遠くに見える灯り達は皆温かそうで、何だかそこだけ別世界のようだった。国が違うとかではなく、文字通り別世界。次元が違うのでは無いかと本気で思う。そんな夢みたいな事ばかりを考えて私は生きている、

 

遠くに見える光というのは、どうしてあんなにも別の世界のように見えるのだろう。まるで私とは無関係のような、本当に遠くの土地のように思える。昔から遠く、距離があまりにも遠い果てに見える灯りというものに惹かれていた。なぜならそこなら私のことを誰も何も知らないから。私のことなんかを知らない、関与しない場所やそこに住む者達が、私が居ない世界のまま在り続けてくれることをずっと祈っている。昔からそうだ、私は私を誰も知らない世界のことを夢見て、その場所や人達をずっと神様みたいに遠くから眺めるだけの生活に憧れていた。承認欲求は馬鹿みたいに強いクセに、多分本当の本当は放っておいて欲しかったんだと思う。それはこんな人間に生まれてしまったからだ。最初から誰も私のことを知らなかったら、私はずっと知られたくなんかなかった。放っておいて欲しかった。知らないで欲しかった。触らないで欲しかったし、私は自分の物語の中だけで生きていきたかったのに

 

夢でもたまに見る。そんな別世界の灯り達。過去の人間。私が触れようとするといなくなってしまう

 

風が強く吹くと、星みたいに遠くの灯り達は瞬いて見えた。硝子で出来た星屑達なのだと思った。宝石みたいだなとも思った。私の好きな青や緑の星屑達も輝いていて、見とれていた。結局展望台で二時間程度夜景をただただ眺め続けていた。雨風に横殴りにされながら、立ちっぱなしで眺めていた。不審そうな目をして、沢山の人達が私をジロジロと見て過ぎ去っていった。

 

さて、空港まで来たのだから何かしら屋内のものを賞味したい、ということで展望台に隣接されているカフェにお世話になった。オリジナルの和紅茶とガトーショコラは美味しかった。今度は手書きノートとペンを持って、少しお邪魔したいと思う

 

カフェに入ってからも私は窓から夜景を眺め続けていた。それから、曲を聴いて帰りの電車に乗った。死んだと思っていた感性は少しだけ息を吹き返していた。でもそれには手書きのノートが必要だった。用意しておくべきだった。

 

曲を聴きながら車窓から色々なものを眺めていた。くもり硝子の窓のマンション、安っぽいネオンのラブホテル、もう古いデパート、高層ビル、スカイツリーはまだ起きている。仲良さそうに帰るカップル、まだ火曜日なのに酔い潰れて倒れているサラリーマン、それから電気の切れかけている自販機。馬鹿みたいに、本当にバカみたいに。いや、馬鹿なのだ。今日も馬鹿みたいに沢山の人間が生きている。それを横目で眺めて家路に急ぐ私も、結局は烏合の衆の一人で。昔はそんなこと認められなかったな、とここでも自分の心がまた一つ老いて死んでいく実感を得る。血反吐が出そう

 

人間のことが嫌いな人間ほど接客が上手い不思議。

 

 

先輩社員も人が嫌いだ、人が嫌いだとよく嘆く。でも彼はその割にはいろんな人から好かれていて、私からしたらずるいと思う。昔から自分を削ってでも人助けをしたって、好かれるよりも嫌われることの方がはるかに多かった人生だ。そんなこと言ったら私の方がよっぽど人間が大嫌いだ。それでも塗れて生きていかなきゃいけないから触れ合っていただけで、そんなことを続けていたら気付けば人間に囲われて生きる羽目になった。馬鹿野郎だ……

 

DAOKOの「未だ夢を見ている」が沁みる。痛いほどに

 

もう少し物書きの方に集中したいと思います。

せっかく息を吹き返したのだから、丁寧に育てなくては

 

 

夜風に夜景に宵闇が好きだけど、そろそろ日光も浴びたいです。kagariでした