秋の味

風の匂いが変わって、いつの間にか金木犀の香りがするようになり、夜はもう冬の一歩手前の匂いがする

 

着る服も袖ものが増えた。また半袖でじっとりとした空気に触れるには、来年を待たなければならないが、きっとあっという間に夏はやってくる。

 

前回の記事から大分時間が経ってしまったが、結局私はあの仕事を辞めることはなく、寧ろ昇格もさせてもらって良きように働かせてもらっている。

あれだけ悩んだことも、もう全て受け入れてしまって、今は納得して自分の仕事をしている。

 

自分のお客は別に要らなくて(居てもいいしそれはそれで嬉しいけど)、店全体のことを好きで居てくれる人が増えてくれればいい。その中で、いつもそういえばあの子が居たな、くらいでいいのだ。

そんな話を、つい先日バーの大先輩と話していた

 

ほんの数ヶ月前まで、私は今はもう辞めてしまった私の唯一の同期がやっていたことが嫌で嫌で仕方がなかった。

完全に水商売の、それもホストのやり方で、沢山の女の子を泣かせて、傷つけてきた。

お金だけの為の、バーとは呼べないようなやり方で、何度私はあいつに反抗したか分からない

 

それに、理解していても、それでも傷つきながらもあいつに、店に金を落とす女の子達を見るのが嫌だった、し、うんざりもしていた。

分かっているのなら、もっと自分を大事にすればいいのに。理解してなくて、勘違いしてそのまま貢いでいる愚かな女の子達。私は彼女達のことを心底軽蔑していたし、大嫌いだった。頭の悪い女が、この世で一番醜いから

 

でもそれでも、一定層そこに当てはまる客というのは居て、私は元同期のことを友人としては嫌いじゃなかったけど、やり口は嫌いだった

 

それでも、店のことやスタッフのことはとてもよく考えてくれていたし、売り上げのことも常に考えているような奴だったから、そういう所は凄いと思っていたし、事実彼のお陰で彼が居た時の数字は桁違いだったのは確かだった

 

でも、そんなことばかりやっていたから、あいつにはスタッフからの人望はなかった。

軽率で、数字は瞬時には稼げても、先のある数字ではなくて。あいつが辞めてしまったら、来なくなる人も、下がる数字も、とにかくマイナスは大きい。

 

それでも、あいつはあいつなりに考えて、自己犠牲でやってくれていた部分も見ているし、人間の評価って難しいんだなと思った

 

 

 

元同期が辞めて、個人的にも諸々環境及び心境の変化があって、何もかも受け入れてしまう癖がついた

 

諦めではなく、受容だと自分では思っている。結局、人って生きている限り思っていた以上に自己責任で、他人はそんなにも優しくはないのだと

 

皆、利己主義にも、他人のためにも生きていて、多面的に見なければならなくて、人生も世の中も、人間そのものさえ万華鏡のようで、この世の全ては概念に過ぎないのだと

 

だったら、好きなように生きたいし、私は自分の好きな自分で居られるように努めるだけで、今まで他人のことを気にし過ぎたのかもしれないな

 

何かをしたところでその見返りは保障されないし、最早どうでもいいものだ

 

全ては自己責任だし、自己都合、自分の勝手でやったこと

 

そんなことが書きたかったんじゃないのだけどね、

 

 

なぜか私は、他人からよく「優しい」と言われることが多い。実際はそんなことは全くない。自分が一番大事だし、誰か何かの為に自分を犠牲にするようなことがあったとしても、それは後々巡って自分の利益になることを分かっててやっているだけの計算的な自己犠牲であって、自分の感情で誰かを傷つけたとしても罪悪感は一切抱かないような人間だ。

 

本当にそうなのだ。誰かを、自分の心無い言葉で、もしくは不誠実な行動で傷つけてしまったとしても、それが自分のせいだと分かっていても、相手に対する罪悪感は一切そこに存在しない。他人の気持ちを想像することは容易いが、自発的に自分の中に罪悪感や相手に対する同情の気持ちが発生するかと言われば、全くそんなことはない

 

他人から評価されていることとは全く真逆であることが多い。

私の根本を知る両親からは、私がとてもドライかつ非道であることを幾度となくぶつかってこられては諦められてきたし、最終的に「人としてはこちらが正しいんだぞ、参考程度に一応覚えておけよ」くらいに留められて、私の根本的に人として間違っている部分に関してはスルーされるようになった

 

正しくすることで私を評価してくれるような相手には幾らでも嘘偽りで塗り固めて礼儀正しい人間であろうとするし、要は役者みたいなものだ。

 

社会経験が多いわけではないが、幸いにも私はその環境の中において誰に懐いておけば自分が安泰だという嗅覚が異常に優れており、鋭い。

よほどその人との最早生理的に合わない、という不具合が起きない限りは、ある程度縦社会の中での生き方は得意な方かもしれない

 

でも、別に上昇志向でもないし、我慢はするタイプではないので、相手を見切る時はとことん見切るし、自分がそこに属するメリットも義理もなければすぐに去る。

 

所詮、何かに属する時はその属している時の自分が好きな自分で居られるかどうかが最重要であり、仕事など幾らでも覚えられるしこなせるようになるのだから、どこでも処世術は通用する

 

その中で、自分が好きなようにできれば何も文句はない

 

そういった諸々を自分の中で無事納得できて、整理できたので、私は今の職場で楽しく働いている