思考の揺蕩わせ方

仕事を最近めちゃくちゃに入れてしまったため、時間が足りない

 

ので、やりたいな、と思うことを書いていこうかしら

 

 

秋も深まり、金木犀の香りがゆらりと風に乗ってやってくるから、そのままその匂いが髪に染み込めばいい、と思う

なびく度に揺れる秋の香りが、そのまま香水になればいいのにと、思う

 

夜が更けていくと、空気も少しだけ尖るようになってきて、冬もすぐそこまでやってきているのかもしれない。白の、気配がする

 

嗅覚による記憶というものは、非常に鮮明に残っている

毎年、季節の変わり目の風の匂いが変わる度、過去のその季節の記憶が蘇る。

去年のこの時期はこうだったな、と

最近は仕事の記憶が多いけれど。もう、今の職場も先月で一年を迎えた

 

珈琲を淹れる腕ももう、鈍ってしまっただろうか

元々は喫茶店の人間だったし、珈琲に関わる仕事がしたかったのだけど、いつの間にか酒に関わる仕事に就いて、もう三年になる

 

珈琲を、ゆっくり飲みながら煙草を吸って、ノートにペンを走らせたい

 

行かなくなってしまった数々の喫茶店のマスター達は元気だろうか

 

 

気だるげな雰囲気が好きだ

 

 

散歩をするなら快晴がいいが、喫茶店で窓から外を眺めながら物思いに耽るなら、曇りくらいが丁度いい。

夜風をドアが開く度に感じて、その匂いにまた恋にも似たほんの少しの胸の痛みを覚えながら筆を走らせたいものだ

 

冬の直前の、陽の落ちる時間が早くなってきてしまったあたりの、丁度それくらいの時期に、たった一人で誰かを想って切なくなりたい

 

最近よく、高校時代の帰り道を思い出す

 

当時付き合っていた恋人と、駅まで帰る道を少し遠回りして、駅まで彼は自転車を転がして、私は歩いて帰ったあの頃のあの道を、ふと思い出す

あの頃の私の味方は、インターネットと当時の恋人だけだった

他は全て敵でしかなかった

 

よく、二人乗りをして帰ったっけか

 

 

あの頃は見るもの全てが色鮮やかに見えていたし、見ていたものも、見えていたものも多分今とは大分違っていて、感性もずっと瑞々しかったし、今ではもう感じ取れないようなものも沢山感じていた

 

あの頃はまだ、小説が書けた、し、文章も書けていた

 

今はもう、そんなものは浮かばなくて

 

 

 

夫が小説を書けるのが羨ましい。昔は私も書けていたし、そういった方向で生きていきたかった。自分の文章で誰かを心底惚れ込ませたかったし、狂わせたかったし、殺したかった。

信者に殺されてもいいと思っていた。それくらい、過去の私の文章は鋭くて、とてもとても鋭くて、拙かったけど透明で美しくて、文を書くことに異常なまでに固執していて、この感性が無くなってしまうくらいなら死んだ方がマシだと思っていた

老いるのが怖かった、二十歳を超えるのも怖かった、社会人になるのが怖かった、ずっとずっと制服を着た少女のままでよかった

 

寧ろ死んでしまいたかった、あの頃のあの感覚を持ったままで

 

 

それでも今、こうして生き長らえてしまっているし、これでよかったとも思う

 

あの頃は美しいと思えていた雨も、今ではただの傘という荷物が増えるだけの嫌いな天気になってしまったし、何かしらあの頃に比べて失ったものはきっととても多いのだろうけど、それでも得たものだって少なくないはずだから、今こうして私は息をしている

 

 

強いていうなら、書く楽しさはもう、ほとんど感じられなくなってしまったことが、唯一の私の最大の苦痛だと思う

 

指に豆を作って、血豆が潰れて血まみれになってもペンを握って書き続けていたあの頃にはもう、戻れない。真っ赤に染まったあのノートも、もう開くことはない

 

ああ、自分の感性で、誰かを殺したかった

 

 

夢を失ってしまった私は、もう恩師に顔向けはできないかな。

私の才能を拾ってくれたあの人に、もう一度だけ会いたいけど

 

25だ。もう、25になってしまったんだ。そしてあっという間に26になって、30になって、その時私は一体何になって、何が生きがいで、また何か夢を持てているのだろうか

 

もう一度、余白を愛したい、空間と匂いを、全ての物事の余白を愛せる人間になりたい

 

美しく鋭利でありたいし、本質はこんな曖昧なものではなく、もっと狂気に満ちたもののはずで、何かに納得して受け入れれば受け入れるほど、自分の棘と牙は抜けていく。

でも、今となってはそれでいいのだと思うし、新たな物事の吸収が今は楽しくて仕方がない。

自分が知らなかったこと、できなかったことができるようになって分かるようになっていくのは非常に楽しいことで、今は人間そのものが一番楽しいのかもしれない

 

 

夜が好きだ

 

 

 

 

一人暮らしをしていた頃、まだ社員だった頃、休みの日は夜になると窓を開けて夜風で部屋の中を満たしていた。好きな香りのアロマキャンドルを灯して、好きな酒をロックでちびちび飲んで、煙草を吸って、月が見えたら月を延々と眺めていた

音楽をかけることもあったし、ただ秋の夜長を、虫の声をBGMにして聴いていたこともあった

寂しくなると外に出て、自転車で街を走ることもあったし、きったない居酒屋に一人でご飯を食べにいくこともあった

 

一人なのにべろべろに泥酔して、その状態で熱湯の浴槽に沈んで、余計に酒の回りを早くして自殺行為に及んだこともあったし、月明かりだけで本を読んでいたこともあった

 

誰かの声が聴きたくて、誰かに電話していたこともあったし、今思えばわりと上手に一人の時間を愛せていたのではないかと思う

 

結婚した今、ふとそんな一人暮らしの一人の時間に想いを馳せることがある

 

 

わりと一人の時間が好きだった

 

ちょっと寂しいくらいで丁度よかった、今は尚更

 

 

ふと思い出したこと

 

 

 

煙草を吸わなかった私が吸うようになってしまったのは、当時好きになった男が煙草を吸っていて、その男とキスをした時だけ煙草の味と香りがしたから

 

それから、一人の時でも、寂しくなると煙草を吸うようになった

でも、その味と香りが欲しいだけだから、肺には入れなかった

だから依存はしなくて済んだのだった けど、今となってはもう依存してしまっている

 

 

煙草を吸った直後にキスされるのが好きだった

 

 

セックスしなくてもいい、手だって繋がなくたっていい、指先だけを少し絡めるような、肌と肌がほんの少し触れているような、そんな距離感ですら愛おしい

そんなことを思っていた時代があったなと、そんな健気な時期が自分にもあったなと

 

 

自分と別れた後に、その30分後には他の女を抱きに行く男も居たっけ

 

それでも、その人のことが好きで、信じて待っていた頃もあった

 

16歳で処女を名前も知らないインターネットの男に捧げてから、自分の人生は本当におかしくなってしまった気がする

 

それよりも更に昔、付き合っていた男が自分のせいで死んだ

 

 

もう、顔も思い出せないのは申し訳ないと思っている

 

色々なことがあったし、この先もきっと色々人間のことであるのだろう、けど、もう全てを受け入れるよ

 

それでも、自分の中の「水」とか「風」とか「透明」な部分は、最後まで失いたくない

 

夜が好きなこと

風の匂いに敏感なところ

余白が好きなこと

透明なものが好きなこと

四季折々の変化や風物詩が好きなこと

図形が好きなこと

夜の海が好きなこと

夜の灯りが好きなこと

無機質なものが好きなこと

青色が好きなこと

 

 

変わらないで欲しい

 

三島由紀夫の文章を美しいと思えることも、虚無のような曖昧な空白部分すらも愛せることも、そもそも人生なんて誰かと比べるものでも、お手本なども何もなくて、「私」がゆらりと沢山のものを見ながら通り過ぎるだけの余興に過ぎないことも

 

人は誰かにとって特別になることはとても簡単だ

けど、それをいつまでも記憶に残しておくことはとても難しい

どんなに愛した人でも、大事な家族であっても

失ってしまったとしてもいつかは傷は塞がって薄くなってしまう

 

誰のものでもなく、誰のものにもならず、私は私であり幾らでも変わるし、変わってしまうし、とっておきたいものでさえ確証はなくて、そんな曖昧なものが人間なのだから、約束なんてものは概念に過ぎなくて 

 

ただ、自分が死ぬ時に もしくは消えて無くなってしまう時に、最後に見るものはなるべく美しいものであって欲しい

 

灰が残ってたらそれは海に撒いて欲しい

 

 

まだまだ息をしなくてはならないんだろうし、息をしていたいけど、いつか来る終わりがあるならそうであって欲しい

 

私が死んだら、私のことを皆綺麗さっぱり忘れてくれればいいと思う

 

そんなことを色々と思いながら、久方ぶりにPCを開いたとある秋の宵でした