澄んだ朝

秋も深まり冬の気配がする。もうすぐそこまで来ている、何ならもう顔を覗かせている。

深夜から朝方がもうだいぶ鋭い寒さになってきた。

最近はDAOKOを聴いている

 

夜には「同じ夜」を、朝には大抵「終わらない世界で」か「水星」を聴いている。

秋から冬にかけてのDAOKOはサイコーで、よく空気の匂いと合っている。

視界に入り込んでくるイルミネーション、そんな綺麗さよりも古ぼけた安っぽいネオンの方がどことなく愛着が湧くのはきっと私がそういった世界ばかりを見てきたからなのか。

仕事柄、夜から朝にかけて働くことが多く、深夜ちょっと外に煙草を買いに行こうと外に出ると大抵往来だというのに酔っ払った男女が抱き合いながらキスをしている。しかも中年だったりするから一体誰得なんだろう、と毒吐きつつも、側から見たら見苦しい物でもきっと本人達は幸せなのだろうと思う。

動物的な男女の在り方としてはこちらが正しいのかもしれない。私はああいう風にはなりたくないけれど。

 

バーテンダーなんてものをやってると、まあ出会うのは昼の社会にくたびれた人達を相手にすることが多いわけで。

疲れ切った顔の人達、しかし今はもうすぐクリスマス。恋人とのイベント話に頬を赤らめて話す男女達も集う。そんな中、大体カウンターに座るのは一人で来る常連客だったりする。私よりも三、四つほど上のお姉さんは、この間お気に入りの男性バーテンダーに相手にされず拗ねて帰られてしまった。

 

色々ある。

 

仕事自体はすごく楽しいけれど、やっぱり大変は大変で、でも現場に着いてしまえば何とかやり過ごせるもので。

 

しかし仕事中でも最近は色々なことを考えてしまう。

 

物書きがしたい、と。ふと考えてしまうのだ。

 

もっと懐かしい、胸が少しだけ苦しくなってしまうような場所で心奪われていたい。そこで哀愁に刺されて、匂いにも突き殺されて、どうしようもなく泣きそうになっていたい。そこまでぐちゃぐちゃに感じるものがあって、ようやく私はものを書くことができる。

 

モラトリアム溢れる浮遊感、そして一瞬のノスタルジーに全てを包まれて、自分の記憶にさえないようなものを自分の中に創り出してしまう。

実はそれは、ふとした瞬間どこにでもあったりするもので、それを見つける才能が私にあるのだと思う。それを上手く文に起こせるかどうかは、また別の話だけど。

 

澄んだ朝、私達の家は川の近くにあるから、土手道を自転車で駆け抜けるとすぐに磯の匂いがする。その川はすぐ海に繋がっている。

 

陽が昇るのを、眺めながら音楽を聴く。

澄んだ空気に身を委ね、仕事の疲れを一掃されるようで、気持ちいい。

大抵私の一日はこうして終わる。皆が新たな一日を始めようとする頃、私や夫の一日は終わる。

 

いつまでもこの透明な風がずっと私の宝でありますようにと、日々願う。