結局、幾つになっても

久々にあの人のブログを読んだ。と言うより、昨日あたりから実は読み直しているのだが、何度読んでもあの人の文章を読むと出会った当時の16の頃を思い出す

 

私とあの人は一つしか違わないのだけど、結局私達は似た者同士なのである、と私は勝手に信じている。

 

私もあの人も、過去ブログ全盛期の頃沢山の読者に囲われた。熱狂的な信者も居てくれた。そんな過去の栄光って、なかなか消えてくれないんだよね。だからこんないい歳しても、あの頃のモラトリアムに縛られて、自分って特別な存在かもしれないっていう幻影が消えないんだよね。

でも、そうだと思ってもいないと、多分生きていけない。特別で、でも生きる力はあるから色々人生がどっかしら壊れているのだけど、それは才能だと思わなきゃやってらんない。素直に破滅的な底辺的人生を送ってます、なんて認めてしまったら、ただの社会不適合者になってしまう。ただの、ただの駄目人間。いや、駄目人間って分かってるよ。分かってるんだけどさあ

 

もう少し夢を見させてくれたっていいじゃないか、情緒に価値をください。

 

勝手に憧れて、憧れすぎて嫉妬して、嫌いになったこともあったけど、結局今もまだ縛られてるんですよ、私。

だって物書きを始めたきっかけ、もろにその人なんだもの。

 

恩師が私の文章を褒めてくれたのも、私は当時その人の文の書き方をほぼ無自覚で完コピできていたからじゃないかと思う。それくらいあの人の文章力というのは素晴らしく、私よりもあの人の方が圧倒的に人気があった。かくいう私も人気絶頂期のその人を見て、他の大衆同じくまんまと魅せられてしまったうちの一人なのだから。

好きな人の色々な部分というのは、勝手に吸収されてしまうらしく、謂わば真似してしまう癖がつくらしい。

そんなこんなで始めた私の文章は、恐ろしくあの人に似過ぎていて、今でいうtwitterでの裏垢みたいに、「裏ブログ」なんじゃないかとコメントされたことも沢山あった。裏ブログでないことが分かると、あまりに影響を受けすぎていますねだの、ほぼパクリじゃないですかだのアンチに絡まれることもあった。まあ、そのご指摘はごもっともなんですが。

 

けど結局、今の今まで、そう。あの頃から8年も経ってしまったけど、今現在も私にとってあの人の文章が一番だ。もう圧倒的一番。死ぬほど好き。

 

そして私は結局あの人の影を追いかけ続けるだけで、超えることもしてない。できていない

 

憧れを引きずり続けることほどかっこ悪いものはないなあと思っていたけど、まさかドツボにはまるなんて。いやほんと、間違った自尊心のつけ方とか覚えちゃったし、本当の本当に、あの人のおかげで、お陰様で今の私が在るよ。恩師曰く、「ジェットコースターのような人生」を送っている今の私が。

 

どうしようもないなって思うんだけど、こんな私が自分でも愛おしくもある。というか、多分普通に生きられない私の人生、自分でも面白くもある。けど、ちょっとしたクソさ加減と、大量の情緒を持ち合わせて生きていくのは、自業自得ながら大変なんだよね。うん、正しく自業自得。そして、因果応報。

 

でも自分の生き方として、間違ってるものは何一つないと思っている。それは昔からずっと変わらなくて。

多分私の強さは過去に後悔をしないことなんじゃないかと思ってる。

 

ある意味、自分は間違ってませんを主張しちゃう老害一直線野郎なんだけどね。

 

風の匂いに自分の情緒を、感傷を乗せてものを考える。海には母を感じる。

毎年繰り返される四季の変化に毎年涙を流す人間が居てもいいのではないでしょうか。

 

あの人にネットで出会えたことが、私にとっての人生の幸せだったと思う

 

 

ありがとう。今だにあなたの文に恋をしています。