思考の揺蕩わせ方

仕事を最近めちゃくちゃに入れてしまったため、時間が足りない

 

ので、やりたいな、と思うことを書いていこうかしら

 

 

秋も深まり、金木犀の香りがゆらりと風に乗ってやってくるから、そのままその匂いが髪に染み込めばいい、と思う

なびく度に揺れる秋の香りが、そのまま香水になればいいのにと、思う

 

夜が更けていくと、空気も少しだけ尖るようになってきて、冬もすぐそこまでやってきているのかもしれない。白の、気配がする

 

嗅覚による記憶というものは、非常に鮮明に残っている

毎年、季節の変わり目の風の匂いが変わる度、過去のその季節の記憶が蘇る。

去年のこの時期はこうだったな、と

最近は仕事の記憶が多いけれど。もう、今の職場も先月で一年を迎えた

 

珈琲を淹れる腕ももう、鈍ってしまっただろうか

元々は喫茶店の人間だったし、珈琲に関わる仕事がしたかったのだけど、いつの間にか酒に関わる仕事に就いて、もう三年になる

 

珈琲を、ゆっくり飲みながら煙草を吸って、ノートにペンを走らせたい

 

行かなくなってしまった数々の喫茶店のマスター達は元気だろうか

 

 

気だるげな雰囲気が好きだ

 

 

散歩をするなら快晴がいいが、喫茶店で窓から外を眺めながら物思いに耽るなら、曇りくらいが丁度いい。

夜風をドアが開く度に感じて、その匂いにまた恋にも似たほんの少しの胸の痛みを覚えながら筆を走らせたいものだ

 

冬の直前の、陽の落ちる時間が早くなってきてしまったあたりの、丁度それくらいの時期に、たった一人で誰かを想って切なくなりたい

 

最近よく、高校時代の帰り道を思い出す

 

当時付き合っていた恋人と、駅まで帰る道を少し遠回りして、駅まで彼は自転車を転がして、私は歩いて帰ったあの頃のあの道を、ふと思い出す

あの頃の私の味方は、インターネットと当時の恋人だけだった

他は全て敵でしかなかった

 

よく、二人乗りをして帰ったっけか

 

 

あの頃は見るもの全てが色鮮やかに見えていたし、見ていたものも、見えていたものも多分今とは大分違っていて、感性もずっと瑞々しかったし、今ではもう感じ取れないようなものも沢山感じていた

 

あの頃はまだ、小説が書けた、し、文章も書けていた

 

今はもう、そんなものは浮かばなくて

 

 

 

夫が小説を書けるのが羨ましい。昔は私も書けていたし、そういった方向で生きていきたかった。自分の文章で誰かを心底惚れ込ませたかったし、狂わせたかったし、殺したかった。

信者に殺されてもいいと思っていた。それくらい、過去の私の文章は鋭くて、とてもとても鋭くて、拙かったけど透明で美しくて、文を書くことに異常なまでに固執していて、この感性が無くなってしまうくらいなら死んだ方がマシだと思っていた

老いるのが怖かった、二十歳を超えるのも怖かった、社会人になるのが怖かった、ずっとずっと制服を着た少女のままでよかった

 

寧ろ死んでしまいたかった、あの頃のあの感覚を持ったままで

 

 

それでも今、こうして生き長らえてしまっているし、これでよかったとも思う

 

あの頃は美しいと思えていた雨も、今ではただの傘という荷物が増えるだけの嫌いな天気になってしまったし、何かしらあの頃に比べて失ったものはきっととても多いのだろうけど、それでも得たものだって少なくないはずだから、今こうして私は息をしている

 

 

強いていうなら、書く楽しさはもう、ほとんど感じられなくなってしまったことが、唯一の私の最大の苦痛だと思う

 

指に豆を作って、血豆が潰れて血まみれになってもペンを握って書き続けていたあの頃にはもう、戻れない。真っ赤に染まったあのノートも、もう開くことはない

 

ああ、自分の感性で、誰かを殺したかった

 

 

夢を失ってしまった私は、もう恩師に顔向けはできないかな。

私の才能を拾ってくれたあの人に、もう一度だけ会いたいけど

 

25だ。もう、25になってしまったんだ。そしてあっという間に26になって、30になって、その時私は一体何になって、何が生きがいで、また何か夢を持てているのだろうか

 

もう一度、余白を愛したい、空間と匂いを、全ての物事の余白を愛せる人間になりたい

 

美しく鋭利でありたいし、本質はこんな曖昧なものではなく、もっと狂気に満ちたもののはずで、何かに納得して受け入れれば受け入れるほど、自分の棘と牙は抜けていく。

でも、今となってはそれでいいのだと思うし、新たな物事の吸収が今は楽しくて仕方がない。

自分が知らなかったこと、できなかったことができるようになって分かるようになっていくのは非常に楽しいことで、今は人間そのものが一番楽しいのかもしれない

 

 

夜が好きだ

 

 

 

 

一人暮らしをしていた頃、まだ社員だった頃、休みの日は夜になると窓を開けて夜風で部屋の中を満たしていた。好きな香りのアロマキャンドルを灯して、好きな酒をロックでちびちび飲んで、煙草を吸って、月が見えたら月を延々と眺めていた

音楽をかけることもあったし、ただ秋の夜長を、虫の声をBGMにして聴いていたこともあった

寂しくなると外に出て、自転車で街を走ることもあったし、きったない居酒屋に一人でご飯を食べにいくこともあった

 

一人なのにべろべろに泥酔して、その状態で熱湯の浴槽に沈んで、余計に酒の回りを早くして自殺行為に及んだこともあったし、月明かりだけで本を読んでいたこともあった

 

誰かの声が聴きたくて、誰かに電話していたこともあったし、今思えばわりと上手に一人の時間を愛せていたのではないかと思う

 

結婚した今、ふとそんな一人暮らしの一人の時間に想いを馳せることがある

 

 

わりと一人の時間が好きだった

 

ちょっと寂しいくらいで丁度よかった、今は尚更

 

 

ふと思い出したこと

 

 

 

煙草を吸わなかった私が吸うようになってしまったのは、当時好きになった男が煙草を吸っていて、その男とキスをした時だけ煙草の味と香りがしたから

 

それから、一人の時でも、寂しくなると煙草を吸うようになった

でも、その味と香りが欲しいだけだから、肺には入れなかった

だから依存はしなくて済んだのだった けど、今となってはもう依存してしまっている

 

 

煙草を吸った直後にキスされるのが好きだった

 

 

セックスしなくてもいい、手だって繋がなくたっていい、指先だけを少し絡めるような、肌と肌がほんの少し触れているような、そんな距離感ですら愛おしい

そんなことを思っていた時代があったなと、そんな健気な時期が自分にもあったなと

 

 

自分と別れた後に、その30分後には他の女を抱きに行く男も居たっけ

 

それでも、その人のことが好きで、信じて待っていた頃もあった

 

16歳で処女を名前も知らないインターネットの男に捧げてから、自分の人生は本当におかしくなってしまった気がする

 

それよりも更に昔、付き合っていた男が自分のせいで死んだ

 

 

もう、顔も思い出せないのは申し訳ないと思っている

 

色々なことがあったし、この先もきっと色々人間のことであるのだろう、けど、もう全てを受け入れるよ

 

それでも、自分の中の「水」とか「風」とか「透明」な部分は、最後まで失いたくない

 

夜が好きなこと

風の匂いに敏感なところ

余白が好きなこと

透明なものが好きなこと

四季折々の変化や風物詩が好きなこと

図形が好きなこと

夜の海が好きなこと

夜の灯りが好きなこと

無機質なものが好きなこと

青色が好きなこと

 

 

変わらないで欲しい

 

三島由紀夫の文章を美しいと思えることも、虚無のような曖昧な空白部分すらも愛せることも、そもそも人生なんて誰かと比べるものでも、お手本なども何もなくて、「私」がゆらりと沢山のものを見ながら通り過ぎるだけの余興に過ぎないことも

 

人は誰かにとって特別になることはとても簡単だ

けど、それをいつまでも記憶に残しておくことはとても難しい

どんなに愛した人でも、大事な家族であっても

失ってしまったとしてもいつかは傷は塞がって薄くなってしまう

 

誰のものでもなく、誰のものにもならず、私は私であり幾らでも変わるし、変わってしまうし、とっておきたいものでさえ確証はなくて、そんな曖昧なものが人間なのだから、約束なんてものは概念に過ぎなくて 

 

ただ、自分が死ぬ時に もしくは消えて無くなってしまう時に、最後に見るものはなるべく美しいものであって欲しい

 

灰が残ってたらそれは海に撒いて欲しい

 

 

まだまだ息をしなくてはならないんだろうし、息をしていたいけど、いつか来る終わりがあるならそうであって欲しい

 

私が死んだら、私のことを皆綺麗さっぱり忘れてくれればいいと思う

 

そんなことを色々と思いながら、久方ぶりにPCを開いたとある秋の宵でした

 

 

 

 

 

 

秋の味

風の匂いが変わって、いつの間にか金木犀の香りがするようになり、夜はもう冬の一歩手前の匂いがする

 

着る服も袖ものが増えた。また半袖でじっとりとした空気に触れるには、来年を待たなければならないが、きっとあっという間に夏はやってくる。

 

前回の記事から大分時間が経ってしまったが、結局私はあの仕事を辞めることはなく、寧ろ昇格もさせてもらって良きように働かせてもらっている。

あれだけ悩んだことも、もう全て受け入れてしまって、今は納得して自分の仕事をしている。

 

自分のお客は別に要らなくて(居てもいいしそれはそれで嬉しいけど)、店全体のことを好きで居てくれる人が増えてくれればいい。その中で、いつもそういえばあの子が居たな、くらいでいいのだ。

そんな話を、つい先日バーの大先輩と話していた

 

ほんの数ヶ月前まで、私は今はもう辞めてしまった私の唯一の同期がやっていたことが嫌で嫌で仕方がなかった。

完全に水商売の、それもホストのやり方で、沢山の女の子を泣かせて、傷つけてきた。

お金だけの為の、バーとは呼べないようなやり方で、何度私はあいつに反抗したか分からない

 

それに、理解していても、それでも傷つきながらもあいつに、店に金を落とす女の子達を見るのが嫌だった、し、うんざりもしていた。

分かっているのなら、もっと自分を大事にすればいいのに。理解してなくて、勘違いしてそのまま貢いでいる愚かな女の子達。私は彼女達のことを心底軽蔑していたし、大嫌いだった。頭の悪い女が、この世で一番醜いから

 

でもそれでも、一定層そこに当てはまる客というのは居て、私は元同期のことを友人としては嫌いじゃなかったけど、やり口は嫌いだった

 

それでも、店のことやスタッフのことはとてもよく考えてくれていたし、売り上げのことも常に考えているような奴だったから、そういう所は凄いと思っていたし、事実彼のお陰で彼が居た時の数字は桁違いだったのは確かだった

 

でも、そんなことばかりやっていたから、あいつにはスタッフからの人望はなかった。

軽率で、数字は瞬時には稼げても、先のある数字ではなくて。あいつが辞めてしまったら、来なくなる人も、下がる数字も、とにかくマイナスは大きい。

 

それでも、あいつはあいつなりに考えて、自己犠牲でやってくれていた部分も見ているし、人間の評価って難しいんだなと思った

 

 

 

元同期が辞めて、個人的にも諸々環境及び心境の変化があって、何もかも受け入れてしまう癖がついた

 

諦めではなく、受容だと自分では思っている。結局、人って生きている限り思っていた以上に自己責任で、他人はそんなにも優しくはないのだと

 

皆、利己主義にも、他人のためにも生きていて、多面的に見なければならなくて、人生も世の中も、人間そのものさえ万華鏡のようで、この世の全ては概念に過ぎないのだと

 

だったら、好きなように生きたいし、私は自分の好きな自分で居られるように努めるだけで、今まで他人のことを気にし過ぎたのかもしれないな

 

何かをしたところでその見返りは保障されないし、最早どうでもいいものだ

 

全ては自己責任だし、自己都合、自分の勝手でやったこと

 

そんなことが書きたかったんじゃないのだけどね、

 

 

なぜか私は、他人からよく「優しい」と言われることが多い。実際はそんなことは全くない。自分が一番大事だし、誰か何かの為に自分を犠牲にするようなことがあったとしても、それは後々巡って自分の利益になることを分かっててやっているだけの計算的な自己犠牲であって、自分の感情で誰かを傷つけたとしても罪悪感は一切抱かないような人間だ。

 

本当にそうなのだ。誰かを、自分の心無い言葉で、もしくは不誠実な行動で傷つけてしまったとしても、それが自分のせいだと分かっていても、相手に対する罪悪感は一切そこに存在しない。他人の気持ちを想像することは容易いが、自発的に自分の中に罪悪感や相手に対する同情の気持ちが発生するかと言われば、全くそんなことはない

 

他人から評価されていることとは全く真逆であることが多い。

私の根本を知る両親からは、私がとてもドライかつ非道であることを幾度となくぶつかってこられては諦められてきたし、最終的に「人としてはこちらが正しいんだぞ、参考程度に一応覚えておけよ」くらいに留められて、私の根本的に人として間違っている部分に関してはスルーされるようになった

 

正しくすることで私を評価してくれるような相手には幾らでも嘘偽りで塗り固めて礼儀正しい人間であろうとするし、要は役者みたいなものだ。

 

社会経験が多いわけではないが、幸いにも私はその環境の中において誰に懐いておけば自分が安泰だという嗅覚が異常に優れており、鋭い。

よほどその人との最早生理的に合わない、という不具合が起きない限りは、ある程度縦社会の中での生き方は得意な方かもしれない

 

でも、別に上昇志向でもないし、我慢はするタイプではないので、相手を見切る時はとことん見切るし、自分がそこに属するメリットも義理もなければすぐに去る。

 

所詮、何かに属する時はその属している時の自分が好きな自分で居られるかどうかが最重要であり、仕事など幾らでも覚えられるしこなせるようになるのだから、どこでも処世術は通用する

 

その中で、自分が好きなようにできれば何も文句はない

 

そういった諸々を自分の中で無事納得できて、整理できたので、私は今の職場で楽しく働いている

 

 

人間疲れと創作と

かなり久しぶりになってしまったので、最早文章の書き方から忘れているような気がするのだけど、とりあえずお久しぶりです。

 

来月で今の職場に勤めて一年になるということで、節目に辞める事にしました

 

流石にもうね、疲れたよ

 

人間に疲れたし、肝心の創作関係が一切できていない。というより、最早趣味が楽しいとは思えず、書くことの楽しみさえ何処かに行ってしまったようだ

絵を描きたいと久方ぶりに思ったけど、描く時間も気力もなくなり、このままではやばいと思ったので色々限界を感じて退職を考えました

 

まあ、未来が保証されてないのはどこも一緒だけど、完全に脳筋な感じの人達の所でアルバイトとしてやり続けてたらいつか自分の未来は完全に終了するなと思ったし、何より不透明過ぎてやばい。何がしたいとか、どうしたいとかもう無かったし、別段バーテンダーになりたいわけでもないし、如何せん酒はもう当分いいやってくらい飲みすぎた。飽きてしまったというのが正しい。

 

自分の所得では飲めないような酒がボンボン飲めたのは良かったけど、過ぎたるは及ばざるが如しというものだ。

 

何より人に疲れた。

 

人相手の仕事というのは決して嫌ではないし、楽しいと思えることも沢山あるのだけど、言ってしまえば馬鹿の相手が面倒だということだけだ。

酒に酔った勢いで女を持ち帰る男、そしてそれについていく女もまた頭と股が緩そうなアホヅラで、自分から誘いに乗ったくせに後から被害者ぶるくそ女とか、

何度も親身になって忠告したのにも関わらず、結局うちの元スタッフに騙されて金づるになり続けるだけの馬鹿女とか

 

酒場というのはこの世で最も人間というものを信じられなくなる場所なのかもしれない。

そして私の体も心も限界だ。

 

一部のクソバイトの内部事情やら、上層部のゴタゴタや、待遇の悪さなど挙げていったらまあキリがない訳だが、職場自体はまあ嫌いでは無かったのだけどね。

 

スタッフ達は確かに皆いい人達だったし、お客さんも悪い人はほとんど居なかった。皆スタッフの心配も応援もしてくれたし、お酒も沢山飲ませてくれたし。

 

楽しい付き合いだったとは思うけど、体が限界なんだよね、純粋に。

そしてお金が足りない。

何であんなに働いているのにお金が入ってこないんだってくらい率が悪い。

なぜなら深夜手当も残業手当も何もつかないし、店の酒をどんなに売ってもそれがバックで入ってくることはない。

人はいいが労働条件としては劣悪だと言えるだろう。

 

 

だったら新しい職場でフルで入った方が金銭的にも余裕が出てくるし、福利厚生もしっかりしてるため絶対にそっちの方がいい。

勿論色々な人からそう言われてきたけど、ほんの少し前まで私は元副店長に義理があったから辞めることは決断できなかった、し、立場的にも辞めるわけにはいかなくなっていた。

 

しかし、もう後釜も居るみたいだし、彼が私ほどの感度の良さがあるかと言われたらそれはないのだけど幾らでも伸びしろはあるし、元副店長も同期も辞めてしまった今となっては、もう誰にも恩義はないわけだ。

 

返すものは返してきたと思うし、新入社員の教育もそれなりにしてきたはずなので、お役御免だろう。

 

あと二ヶ月、楽しく働ければいいなと思う。

 

落ち着いたら、その分創作もできるはず。

お金のために、黙々と頑張れたらと思う

 

 

古傷ではなくただ慣れただけ、そして傷はまた開く

古傷、という言葉が得意ではない。

いきなり何を言い出すのかと思えば、またなんとも成長していないとある二十代現代人の世迷いごとであるので、聞き流していただきたい

 

古傷が痛む、という言葉があるが古傷は癒えていくものであるとは限らない。傷には変わりなく、その痛みに慣れてしまっただけだと思う

苦痛には変わりなく、そしてその傷口はまたぱくっと開くことはままあるのではないだろうか

 

私の場合、痛みにもある程度慣れ、それでもぱくっと開く傷は腐る程あるのだが、特にこの一週間その傷は開きっぱなしだった。

環境が変わり、心情も変わり、気付けば間も無く25になるのだけど、恐らく世の25とは全く異なる世界に生きているのではないかと思う。

私が生活しているのは真っ白なオフィスでも何でもなく、ただくたびれた人間が、寂しい人間達が集う夜の場だ

 

皆何を目標に生きているのか?最近、色々な職場の人間が怖くなる

 

私には何もない気がして

 

なりたいものも、やりたいことも何もない

趣味とやらが楽しくない、どうしたいかも何もない、ただ虚ろな日々を送っているような気がする

 

多分、静かな時間が欲しいのだと思う、こんなに弱ってしまうと、ふと実家の家族を思う時間が増える

 

やはり定期的に田舎の風が恋しくなる

 

つくづく田舎育ちを痛感させられる、東京で暮らしてきた夫は実家の寒さが厳しいのだそうだ

 

私の書くものは、惹き込まれる人はごく少数であるという自覚がある。ゆえに、大きなメディアにこの先載る事が夢だなどと言うつもりは毛頭ない。

 

ただ、私の内側から吐き出したものが刺さってくれる人達だけに、その刃が深く、深く刺さっていて欲しいと願う

まるでカエシがついているかのように、

 

幸いにも、息をするだけで苦しいような不器用さではないので、もっとドロドロを描ける人の方がきっとその反応は相当なものなのだろうと思う

が、中途半端者こそが、最大の生き辛さに値すると私は思っている

 

何者にもなれず、なりきれず、自分よりも上を見ても下を見てもキリがないような、何者でもない自分への漠然とした焦燥感、不安、満たされぬ自己顕示欲、承認欲求、未来への不安、絶望、結局どこにも帰属できぬ宙ぶらりんな自分こそが、最大の恐怖であり苦痛なのだと

 

自己紹介ができぬ存在ほど哀しいものはないのだ

 

誰の記憶にも残らない、否、残っても淡くぼやけて消えてしまいそうなほどの

 

 

人は誰かを強く覚えることなどほとんどしないけれど、それを分かっていても自分が何者であったかを人に覚えていて欲しいと願わずにはいられない

 

自己の存在意義が見つけられないまま、ぼんやりと過ごす25歳が居てもいいのではないかと開き直りつつ、今年の冷春に苛立ちつつ

また夏の夜のじっとりとした暑さに思いを馳せて、私は今日も生きている。

 

 

空っぽのポッケ

どうどうとまた時間と日々に流されて、また空白になっている自分が居る

 

何か身になる物事をしなくては、と思う反面何もできない。

無論甘えである。

 

しかし最近、何度も書くように妙に過去の記憶が鮮明に蘇る。春が待ち遠しい、冬の寒さに神経がやられる。しかし感性が最も鋭くなるのもまた、冬のみ、である。

何処かしらに行きたいと思うのだけど、あっという間に辿り着けてしまうような場所ではなくて、もうしばらく行くことのできていない、もしくはできない場所に行きたい。

過去に行ったことのある愛おしい場所達を、感傷を持って一人で感じたいのである。

 

例えば、中学の修学旅行で行った京都、奈良。

あの時あんなにも美しく見えた都は、本当にあの日の思い出のままなのだろうか、

 

それは私が好きだった人をただただ追いかけていた時間が美しく煌めいていただけだったのかも知れない。その証拠に、私が記憶に残っているのはほとんどが小雨の降る最終日で、階段を先に上るあの人の背中だったり、十五歳ながらに必死に願掛けをして、恋の石を試した少女性だけだ。

ちなみにその可愛らしい片想いは切なく終わったのだが、その相手は今だに律儀に毎年年賀状をくれる。ありがたいことだ

 

晴れの日もあったはずなのに、どうしてか私の中での京都、奈良のイメージは雨や夜ばかりだ。多分、その瞬間切り取ったものが、一番美しく見えたもの達だったのだろう。

儚げで、しかし凛と美しく佇むそれらを好きだった人に重ねて、その場所や時間、空間を共にできた喜びが、美しい街を思い出として強く脳に刻まれたのかもしれない。

 

高校の修学旅行で行った沖縄も、ほとんどが海や夜、車窓から見た景色とバスから眺めたゲリラ豪雨で濡れた街並み、それから遠くから不意に香ったかつての想い人の匂い、白い砂浜ばかりが、私の記憶としてキラキラと静かに輝いている。

 

どれも全て余白を愛していた

 

香りを、全身に感じる風を、五感全てで感じ取ったその空気を身に纏ってその場所を愛し、起きたこと、見たもの全てを心に映し、そして脳裏に焼き付けたのだろう

写真らしい写真はほとんど撮らずに、自分の中で写真を焼き、ふとした時に現在の私を掬い上げる。雨はいつも皆何処かへ消えてしまうような、人を居なくさせるから、より私にとってはその背景だけが対象になる

 

雨の音が、空気の匂いが、冷たい雨が、鉛のような味が、透明な、雫達が。できた水たまり、何重の輪が広がり続ける、そして誰も居ない、閉まった暗いスーパー。

 

これも制服を着ていた頃の思い出だ

 

 

少し肌寒くなる、雨の日をあんなにも美しく見れる日はもう来ないのだろうかと思うと、とてつもなく哀しくなる。

 

ここ数日、あまりにも鮮やかにブワッと出てくる突然の過去の映像達。

私は近いうちに、死ぬのだろうか

 

 

強烈な過去の幻影

久々に連勤でへとへとです。今日ようやくの休み。

 

 

仕事がありがたくも忙しく、とはいえシフトは削られてカツカツな日々。

夫も仕事を辞めて、今は二人の時間が増えて私はとても嬉しく思うし、仕事で疲れて帰ってきてから家のことをやらずに済むと言うのは大変ありがたいことだ。

 

前置きもここまで、ところで最近、とてつもなく強烈な過去の幻影が目の前によく現れれる。

それはとても懐かしい映像で、人は誰も視えてはこない

 

昨日、アラームに叩き起こされて寝ぼけながら見たものは、強烈に感じた昔通った街への郷愁だった。

かつての恋人が住んでいた街で、四年半も通ったとある街。

その駅の近くの公園が、あの銀色の時計が、あの高い木々達が。そしてあの、がらんとした空気の通る、灰色の駐車場……。

呼ばれた気がした。凄まじく、呼ばれているような気がした。

かつての恋人は視えなかった。私一人だけが、それでもかつてのあの時間のあの空間に手繰り寄せられているような、

 

そこの場所だけ、あの時の空間だけ。いや、もしかしたら「あの時」なんてものは存在しないのかも知れないが、紛れもなくあの場所はあの場所なのだ。

私が制服を着ていた頃から通っていたあの街の、あの駅。なぜか思い出すのは夏の頃ばかりだ

 

人は、視えてこないものだ。

別に誰が悪かったとか、そう言う話ではないのだ。

 

何が呼んでいるのかも解らない、けど、確かに呼ばれている。そんな気がする、もうかつての恋人だった男に未練は微塵もなく、私は今結婚もして幸せで、ただ、あの場所だけが呼んでいる。過去の真夏に、虚無と呼ぶには少し寂しく、空っぽというにはもう少し柔らかい風が、ゆっくり、しかしまっすぐ通る風に、呼ばれている気がするのだ

 

過去に戻りたい訳でもなく、ただ、懐かしいその場所が、色をさほど着けずに呼んでくるのだ。

そしてその場所も風もこう言うのだ。

「一人で来なさい」と

 

しかし、少しばかり思い出話をしてしまうと、あの街のあの駅の、ほんの少し駅から離れた所に、ある薔薇の楽園のようなギャラリーカフェがあった。

そこは正門入り口は「いらっしゃいませ」のような看板が立てかけられており、本日の作品の紹介などが軽く説明書きされてあったりした。

「OPEN」なのか「CLOSE」なのか、なぜかいつもちら、と見て通り過ぎる。

冬に映える、北欧カラーの塗装が好きだった。

昔、かつての恋人と「いつかここに来ようね」と約束していたっけか、

 

その約束が果たされることはなかった

 

 

あのカフェを過ぎて、角を曲がり、そしてまっすぐ行った後また角を曲がる。まっすぐまた行く。近くに雑木林がある。通り過ぎ、畑や住宅街が見えてくる。

私は、あの畑とその坂から見える遠くの景色が好きだったなと、ふと思い出す。

 

四年半も通った街だ。そして通った家だ。今でも鮮明にあの道順を頭の中で辿ることができる。

 

あの街の色々なものが、突然ブワッと鮮明に私の脳裏に、最早目の前と言っても過言ではない、その世界に飲み込まれた気がした。

唐突に、あの頃のあの子に謝りたいと思った。

 

酒に酔っている、

 

そして昨日見た夢は、高校時代に一目惚れして片想いをしていた男子が同じくらい大人になっていて、別の女と結婚して冴えないスーパーの店長になっている夢だった。

もしもし、江古田ですか

近日稀に見るブログの更新率である。昔はこれが普通だったのになあ、

 

まだまだ続く、懐かしい感覚。感性が本格的に目覚めたとでも言うのだろうか

書く楽しさもまた徐々に復活しつつある。そうだ、昔私はこの感覚に取り憑かれていたのだった。

 

仕事終わりに書く、もしくは暇な時間にこのブログを書くのだけど、本当は外に出てる時に書きたかったりする。なぜなら私のこの感覚は外に出てる時に最も研ぎ澄まされ、鮮明に描けるからだ。

夫は夢を叶えた。私もいつか、この夢が叶うといいなと思う

 

 

 

「もしもし、江古田ですか」

 

 

 

昔、学生時代に江古田という駅に降りた事がある。

日大芸生にはとても馴染みのある場所ではないだろうか。

私は池袋から西武池袋線に揺られ、江古田駅に向かった。

降りてみると分かるのだが、駅周辺がとてつもなく下町感溢れる昔ながらの商店街や大衆居酒屋などが多い。

まるで昭和にタイムスリップしたかのような街並みに、懐古趣味者としては狂喜乱舞したものだった

 

しかし、私が行った頃には、もう大分区画整理による店の立ち退きが侵食していたようだった。

 

そもそもなぜ江古田に行こうと思ったのか。

 

 

 

私が高校一年生の頃、まだ誰とも付き合っておらず、ただただ一人の高校生として、創作に身を費やしていた頃の話だ。片想いをしながら、ただただ不特定多数とセックスを愉しんでいた頃の話。

 

誰かに求めて欲しくて、誰でもいいから人肌を直に感じたくて、男の人に抱き寄せられるのを求めていた頃、私はその時の事を「人」ではなくこれまた「感覚」やその時見ていた「景色」などばかりに想いを馳せて吸収していた。

 

ある日、実家で深夜、テレビを観ていた。

 

何の番組だったかは忘れてしまったが、とある深夜のぶらり旅みたいな番組を観ていた。お風呂上がり、髪をタオルで乾かしながらその番組を観ていた。

 

皆が知らない東京の夜の街、みたいなテーマだったと思う。

 

その番組で、映されていたのが江古田だった。その時江古田という街を初めて知った。

何となく、その時に観ていたそれが好きだった。そしてたまたま江古田特集で紹介されたのが、「おにぎり やぐら」だった。

 

この「おにぎり やぐら」は24時間365日、老夫婦が二人で交代制で営んでいるおにぎり屋だと言う。とても小さな構えの店で、おにぎりの見本のショーウィンドウ(ショーウィンドウと呼べるのだろうか)が深夜でも煌々と灯っており、注文するとすぐにおにぎりを握って出してくれると言うお店。もう40年以上の老舗であり、昔から江古田で親しまれてきたと言う。そして何と、おにぎりと共に「ご縁がありますように」と五円玉を渡してくれるらしい。

 

16の頃に観たそれは、何だかとても懐かしくて、行った事もないのに懐かしくて懐かしくてどうしようもなくて、ずっとずっと求めてるような街に思えた。その時父親との折り合いが悪かった。クラスからはほぼ全員嫌われていて、いじめの標的だった私にとって、その街はひどく羨ましく、そして輝かしく見えたのだった。下町の人情で溢れているような、とても優しい街に思えて、そこで生きたいとさえ思えた。何としても行きたい。行きたくて行きたくて仕方がなかった、そんな夏の夜。しかし、当時は門限が厳しく、19時以降外に、まして東京に居るなんて事が許されなかった。歯痒い思いはそのまま二十歳まで感じることになる。もし、あの時親を殴ってでも、江古田に行けたら。私の未来は少しでもまた違ったものになっただろうか。当時の絶望から、少しでも救い出されただろうか。今となってはもう分からないが、その街を自分の自作小説の舞台にする事で、当時の欲求を誤魔化すしかなかった。

 

そして、21歳になった頃。もう交通費も何でも来いと、門限もようやく取っ払われて自由の身になった私は、ふと思い出して江古田に一人で向かった。

 

 

 

その頃にはもう、「おにぎり やぐら」は無かった。

 

 

 

 

区画整理の立ち退きで店を畳んでしまっていた。あの老夫婦も今どこに居るかも分からない。寧ろ健在しているかも情報がもう、掴めない。

 

十代の私が救われたかった、焦がれて焦がれてようやく会いに行ったその場所は、その街は、立ち退きで大量に老舗が無くなってしまいつつも、まだ少しその情緒を残した町並みとしてそこに在り続けていた。

ちなみにやぐらの場所は別のお店になっていた。

 

老夫婦の握ったおにぎりを食べてみたかった。優しい味がすると言う。その優しさに触れてみたかった。寂しかった。一度も来たことが無かったのに、何だかとてつもなく寂しかった。そのお店と、お店の人達とのご縁が欲しかった。あの時、あの街の存在とこのお店の存在にどれほど救われたことか。あの街で息をしてみたかった。

 

真夏の夜、江古田に銭湯があったなら、そこでお風呂に浸かって、そのまま濡れた髪を生温い風に揺らしながら、ふらりふらりと街中を歩いてみたかった。缶酎ハイでも飲みながら、そして「おにぎり やぐら」でおにぎりを買って食べながら。常連になってみたかったし、もう一つ行ってみたかったお店、コーヒー&パーラー「Toki」で珈琲でも飲みながら小説を書いてみたかった。21の私は、缶酎ハイだけは遂行できたものの、やぐらにもTokiにも会えず、悔し涙を堪えるのに必死になりながら江古田を闊歩したものだ。全てが揃っていた頃の江古田を歩きたいという、もう二度と叶わない幻想を抱いて。

 

 

私は昔から、そして今でも「時間が止まったような場所」が大好きで、特に昭和あたりで時が止まっているような空間が好きだ。

江古田も高円寺も、下北沢も今やもう進んでしまっている。

「昭和」という訳ではないが、別の意味で時が止まっているような晴海埠頭は私にとって運命の場所といっても過言ではなく、せめてそこだけは変わらないでいてくれることを切に願っている。

 

都市開発や区画整理なども決して悪いことではない。が、当然良いことだけではないのだ。街には何十年と、もしかすると百年と親しまれてきた店や街並みがある。そしてそれらには全て一人一人の青春であったりが必ず宿っている。新しくすることだけが、街を良くすることではないと思うのだ。

 

誰かの思い出の場所が、誰かの青春の場所が、これからも在り続けることを祈る。

 

 

 

また、そういう街を求めて旅に出る日が来る前に