もしもし、江古田ですか

近日稀に見るブログの更新率である。昔はこれが普通だったのになあ、

 

まだまだ続く、懐かしい感覚。感性が本格的に目覚めたとでも言うのだろうか

書く楽しさもまた徐々に復活しつつある。そうだ、昔私はこの感覚に取り憑かれていたのだった。

 

仕事終わりに書く、もしくは暇な時間にこのブログを書くのだけど、本当は外に出てる時に書きたかったりする。なぜなら私のこの感覚は外に出てる時に最も研ぎ澄まされ、鮮明に描けるからだ。

夫は夢を叶えた。私もいつか、この夢が叶うといいなと思う

 

 

 

「もしもし、江古田ですか」

 

 

 

昔、学生時代に江古田という駅に降りた事がある。

日大芸生にはとても馴染みのある場所ではないだろうか。

私は池袋から西武池袋線に揺られ、江古田駅に向かった。

降りてみると分かるのだが、駅周辺がとてつもなく下町感溢れる昔ながらの商店街や大衆居酒屋などが多い。

まるで昭和にタイムスリップしたかのような街並みに、懐古趣味者としては狂喜乱舞したものだった

 

しかし、私が行った頃には、もう大分区画整理による店の立ち退きが侵食していたようだった。

 

そもそもなぜ江古田に行こうと思ったのか。

 

 

 

私が高校一年生の頃、まだ誰とも付き合っておらず、ただただ一人の高校生として、創作に身を費やしていた頃の話だ。片想いをしながら、ただただ不特定多数とセックスを愉しんでいた頃の話。

 

誰かに求めて欲しくて、誰でもいいから人肌を直に感じたくて、男の人に抱き寄せられるのを求めていた頃、私はその時の事を「人」ではなくこれまた「感覚」やその時見ていた「景色」などばかりに想いを馳せて吸収していた。

 

ある日、実家で深夜、テレビを観ていた。

 

何の番組だったかは忘れてしまったが、とある深夜のぶらり旅みたいな番組を観ていた。お風呂上がり、髪をタオルで乾かしながらその番組を観ていた。

 

皆が知らない東京の夜の街、みたいなテーマだったと思う。

 

その番組で、映されていたのが江古田だった。その時江古田という街を初めて知った。

何となく、その時に観ていたそれが好きだった。そしてたまたま江古田特集で紹介されたのが、「おにぎり やぐら」だった。

 

この「おにぎり やぐら」は24時間365日、老夫婦が二人で交代制で営んでいるおにぎり屋だと言う。とても小さな構えの店で、おにぎりの見本のショーウィンドウ(ショーウィンドウと呼べるのだろうか)が深夜でも煌々と灯っており、注文するとすぐにおにぎりを握って出してくれると言うお店。もう40年以上の老舗であり、昔から江古田で親しまれてきたと言う。そして何と、おにぎりと共に「ご縁がありますように」と五円玉を渡してくれるらしい。

 

16の頃に観たそれは、何だかとても懐かしくて、行った事もないのに懐かしくて懐かしくてどうしようもなくて、ずっとずっと求めてるような街に思えた。その時父親との折り合いが悪かった。クラスからはほぼ全員嫌われていて、いじめの標的だった私にとって、その街はひどく羨ましく、そして輝かしく見えたのだった。下町の人情で溢れているような、とても優しい街に思えて、そこで生きたいとさえ思えた。何としても行きたい。行きたくて行きたくて仕方がなかった、そんな夏の夜。しかし、当時は門限が厳しく、19時以降外に、まして東京に居るなんて事が許されなかった。歯痒い思いはそのまま二十歳まで感じることになる。もし、あの時親を殴ってでも、江古田に行けたら。私の未来は少しでもまた違ったものになっただろうか。当時の絶望から、少しでも救い出されただろうか。今となってはもう分からないが、その街を自分の自作小説の舞台にする事で、当時の欲求を誤魔化すしかなかった。

 

そして、21歳になった頃。もう交通費も何でも来いと、門限もようやく取っ払われて自由の身になった私は、ふと思い出して江古田に一人で向かった。

 

 

 

その頃にはもう、「おにぎり やぐら」は無かった。

 

 

 

 

区画整理の立ち退きで店を畳んでしまっていた。あの老夫婦も今どこに居るかも分からない。寧ろ健在しているかも情報がもう、掴めない。

 

十代の私が救われたかった、焦がれて焦がれてようやく会いに行ったその場所は、その街は、立ち退きで大量に老舗が無くなってしまいつつも、まだ少しその情緒を残した町並みとしてそこに在り続けていた。

ちなみにやぐらの場所は別のお店になっていた。

 

老夫婦の握ったおにぎりを食べてみたかった。優しい味がすると言う。その優しさに触れてみたかった。寂しかった。一度も来たことが無かったのに、何だかとてつもなく寂しかった。そのお店と、お店の人達とのご縁が欲しかった。あの時、あの街の存在とこのお店の存在にどれほど救われたことか。あの街で息をしてみたかった。

 

真夏の夜、江古田に銭湯があったなら、そこでお風呂に浸かって、そのまま濡れた髪を生温い風に揺らしながら、ふらりふらりと街中を歩いてみたかった。缶酎ハイでも飲みながら、そして「おにぎり やぐら」でおにぎりを買って食べながら。常連になってみたかったし、もう一つ行ってみたかったお店、コーヒー&パーラー「Toki」で珈琲でも飲みながら小説を書いてみたかった。21の私は、缶酎ハイだけは遂行できたものの、やぐらにもTokiにも会えず、悔し涙を堪えるのに必死になりながら江古田を闊歩したものだ。全てが揃っていた頃の江古田を歩きたいという、もう二度と叶わない幻想を抱いて。

 

 

私は昔から、そして今でも「時間が止まったような場所」が大好きで、特に昭和あたりで時が止まっているような空間が好きだ。

江古田も高円寺も、下北沢も今やもう進んでしまっている。

「昭和」という訳ではないが、別の意味で時が止まっているような晴海埠頭は私にとって運命の場所といっても過言ではなく、せめてそこだけは変わらないでいてくれることを切に願っている。

 

都市開発や区画整理なども決して悪いことではない。が、当然良いことだけではないのだ。街には何十年と、もしかすると百年と親しまれてきた店や街並みがある。そしてそれらには全て一人一人の青春であったりが必ず宿っている。新しくすることだけが、街を良くすることではないと思うのだ。

 

誰かの思い出の場所が、誰かの青春の場所が、これからも在り続けることを祈る。

 

 

 

また、そういう街を求めて旅に出る日が来る前に