感性が死んでいく話

転職後の話はしたっけか。

また飲食を、というよりずっと飲食をやっている。

ずっとお酒に携わり、ずっと水に手をさらし、手荒れが続いている

 

いつかこの店で店長になるのかなと思った店は肝心の現店長とウマが合わずあのクソババア、と悪態を吐きながら辞めることになった。

 

代わりに今勤めているバーはとてつもなく対人関係が良好なので、今までの数々の職場の中で一番働きやすい。

周囲が良い人達ばかりなので、仕事が出来ない私でも何とか楽しくやれている。

 

が、感性が死んでいく。人と蜜に関わると、どんどんものが書けなくなっていく。自分の感性が死んで錆び付いているのが分かる。私はもう物書きにはなれないのかもしれない

 

そんな中、夫は着々と夢を叶えるために毎日文を文を連ねている。私はそんな姿を横目で見ながら別のことをする。全く物書きとは別のことを。

 

もう、文章が書けない。かつて物書きを夢に見ていた人間としては、文章だけが武器だった人間としては、死ぬほどそのことが辛いのだ。

 

あの頃の鋭い感性に戻りたい。十代の頃の、冬の霧を進むようなあの冷たさに戻りたい。

毎年冬だけは空気の冷たさや澄んでることからか、あの頃の感性を一時的に取り戻すことができるのだが、今年もできるとは限らない。

私は人間が好きで嫌いだ

 

死にたくなる

 

才能というのは磨かなければ枯れ死んでいくというのはどうやら本当らしい。

元々持ち合わせていたはずなのだ。

私は努力を怠っただけだ

 

書くことをやめて、仕事を楽しみ、楽しみすぎて本来の趣味が、夢が死んだ。

私の武器が錆び付いて朽ち果てた。

 

 

夫はいつか夢を叶えるのだろうか。

 

 

もう一度あの頃のインターネットに触れたい。

 

皆が異様な感性を持ち寄って、尖っていたあの頃に。

刹那の余白に想いを寄せられていたあの頃に

 

 

歳だけ重ねたって、醜いんだよ、お前

 

本棚が届いたら諸々やり直そうと思います。